【コラム】社会人として役立った・幼少期・青年期の体験 第8回
広瀬光哉(カクタル代表取締役社長・営業強化コンサルタント)
2024年10月28日
これまで7回に分けて、幼少期から高校時代までを、「社会人として役立った幼少期・青年期の体験」として書いてきました。今回はバスケット部に関するその後の思い出について書いて、最終回にしたいと思います。
2019年8月に高校バスケット部OB・OG会の会長に任命されました。65年以上続いている歴史あるOB・OG会で、私で会長の4代目くらいになると思います。自分の人生おいて、高校のバスケット部で培った経験、体力と知力が非常に役立ち、友人との付き合いからも大きなものを得ているので、恩返しのつもりで快く引き受けました。
会の運営の中心となる幹事メンバーは、私の7名の後輩たちです。新型コロナの流行があり、OB・OG会の開催は昨年やっと再スタートを切りました。そして、2年目の今年は、何と82名のOB・OGがホテルに集結。当時の顧問の先生3名も駆けつけてくださり、楽しく盛大な会になりました。
当然、久しぶりに会うメンバーが多く、挨拶されてもあまりの容姿の変化に誰だか分からない場面も多々ありました。しかし、そこは同じ釜の飯を喰ったメンバーばかり。すぐに空白の時が上書きされて、会話に花が咲きました。
OB・OGのスピーチは、育ててくれた感謝であふれる
それぞれの代のOB・OGが、近況をスピーチしました。「社会人になって活躍できたのは、中学・高校時代のバスケット部での厳しい練習のおかげ。練習に耐えたことで体力と気力に自信が付き、困難を乗り越えてこられた」「当時は怒られてばかりで、鬼のように思っていた顧問の先生に、心から感謝したい」と言うスピーチが多く、皆、同じように感じているのだなと思いました。卒業して教師になっているOB・OGも多く、スピーチを聞いて自分の職業に誇りを持ったのではないでしょうか。
毎年旅行に行っていた私の代は、一番の出席率
私の代のOBは8人いますが、今回は体調不良の1名を除き、7名が参加。50年以上前の卒業生なのに各年度で一番の出席率でした。
どうしてこの代が今でもこれだけ団結力があるかというと、厳しいクラブを生き残ったメンバーであることは前回のコラムで書きました。もう一つの理由として、クラブが休みの時も、卒業して別の大学に行った後も、一緒に行動する機会が多かったことが挙げられます。
私たちは毎年、唯一クラブ活動が無いお盆の一週間の休みに旅行に行っていました。高校1年の夏休みから、千葉県の海水浴場、神津島、三宅島と、毎年出かけました。大学時代は、小笠原、沖縄、石垣島、西表島、竹富島に行き、北海道にも行きました。
小笠原では毎日交代で料理長になり、それぞれが得意な料理を作り、わいわい騒ぎながら、満天の星空の下で美味しく食べました。
69歳になった今でも、かけ声ひとつでメンバーはすぐに集まります。会うと必ず同じ話になり、旅行の一場面を思い出しては皆で笑うのが、楽しいワンパターンになっています。
あの当時は今のように携帯もなく、娯楽も多くなかったので、旅行をシンプルに楽しめたのかもしれません。アルバイトをする時間もなかった我々に旅行の費用を援助してくれた親御さんたちにも感謝しています。
高校3年の夏も旅行に行って全員浪人、翌年全員合格
受験勉強のため、クラブ活動は高校3年の夏で終了しました。しかし、その年も皆で旅行に行ってしまい、結果は全員浪人となってしまいました。
浪人中は孤独で、先が見えず不安でした。しかし、文武両道の高校にいたプライドがあり、「あのクラブでの厳しい練習を思えば、1年の浪人生活などたいしたことではない」と自分に言い聞かせ、一生懸命勉強をした記憶があります。
浪人中の1年間は、約束したわけでもないのにメンバーとは全く会いませんでした。そして、翌年の春、全員が国立や有名私立大に合格しました。2浪したメンバーがいなかったことも、クラブで頑張ってきたおかげだと思っています。
大学で競技スキーを始め、新たな仲間を得る
大学は今まで経験したことのないスポーツをやってみたくて、アメフト部に入部し、その後、絶壁のような雪の中のポールをくぐって行く、競技スキー部に入りました。こちらは、夏の陸上トレーニングと長い冬合宿が厳しかったのですが、同じ価値観と同じような金銭感覚を持つ仲間に恵まれました。
スキー部のメンバーは全国から集まっているので、それぞれの文化を持ち、高校のメンバーとは違った個性がありました。成人になる直前の年齢だったこともあり、様々な付き合いや膨大な会話は自分の人格形成に役立ち、大人として成長できたと思っています。
人生は細い糸でつながり、すべてはプラスになる
このように、幼少時から高校までの話を書いてくると、人生は細い糸でつながっているように思います。だからこそ、なんでも一生懸命に取り組んでいれば、その時々に成功や失敗があったとしても、最後はすべてプラスにつながっていくのだと確信しています。
私はサラリーマンから起業人となり、社長になり、人生も後半に向かっています。これからも、今の一瞬一瞬、目の前にあることに真摯に取り組んでいくことが正しい道なんだろうなと感じ、チャレンジを続けようと思っています。
今回で、このコラムは最終回になります。次のコラムのテーマは思案中です。65歳で起業した会社も、無事5期目に突入しました。その話もしたいと思いますが、次回コラムはしばらくお待ち下さい。