【コラム】社会人として役立った・幼少期・青年期の体験 第4回
広瀬 光哉(カクタル代表取締役社長・営業強化コンサルタント)
2023年9月13日

生まれて初めて、別れの寂しさを知る

前回は小学校中学年くらいまでの体験を書きました。今回は小学校高学年の頃の体験を書いていきたいと思います。

この時期の最大の変化は、親の転勤です。東京の白金しか知らずに育ち、他の地域で暮らすなんて考えてもいませんでしたが、突然親父に、関西・神戸支店への転勤の話がきました。子供心に、「知らない学校に転校するんだな」「都から県に移るんだから、田舎に行くんだな」と思って不安でした。何も知らない子供だったので、小さな不安がいくつも重り、その時は幼友達と別れる寂しさは感じていませんでした。

いよいよ引っ越しの当日、東京駅の新幹線ホームに行くと、近所の友達や学校の友達、知り合いの人達が大勢見送りに来てくれていました。 今では関西は日帰りの出張先ですが、1960年代当時は、関西は東京からは遠い場所でした。ホームでの万歳三唱こそありませんでしたが、一家揃っての一大移動イベントだったので、皆が見送ってくれたのです。

新幹線が動き始め、ホームで手を振る皆の顔を見ているうちに、生まれて初めて、別れの寂しさと悲しさを実感しました。窓に顔を押し付けてずぅーと泣いていたのを鮮明に覚えています。姉も泣いていたように思います。その時の親父の言葉が今も忘れられません。「お前たちに寂しい思いをさせてごめんな。大人になったらなるべく転勤の無い会社に行って、子供を悲しませないようにしたらいいよ」と言ったのです。親父は本当に優しい人だったので、子供の泣いている姿を見るのがひどく辛かったのだと思います。私が前職の会社を選んだ理由の一つが、「転勤のない会社」とリクルート面に大きく載っていたからです。それは、この時の思い出があったからだと思います。

父の転勤先はすばらしい環境だった

さて、いよいよ関西での生活が始まりました。住んだ場所は、兵庫県西宮市の夙川のすぐそばでした。「田舎に行く不安」と書きましたが、これは無知ゆえの不安でした。 夙川は、西宮浜のある海がすぐそばにあり、目線を上に向けると六甲山の山々がそびえ、それでいて芦屋や香枦園などの高級住宅街がある場所でした。JR・阪急・阪神電車の交通網が充実していて、神戸にも大阪にも20分ぐらい行けてしまいます。東京都内に箱根と逗子・葉山を一緒にしたような、すばらしく贅沢な場所でした。

教育程度もべらぼうに高く、近くに灘中・甲陽中など難関私立中学がありました。転校して最初にびっくりしたのは、朝、学校に行くと、まぶたの上にメンタムを塗っている子が何人かいたことです。「何をやっているのか」と聞くと、「中学受験のために塾に通い、深夜まで勉強しているので、授業中眠くならないよう塗っている」と教えてくれて、これには本当に驚きました。

友達も増え、新しい土地での新体験を楽しむ

近くに大自然があり、それでいて周りには高級住宅街のある都会だったので、住み心地は最高でした。 東京弁と関西弁の違いには、しばらく混乱しました。最初は、「東京の言葉は変だ」「きざな言葉だ」と笑われましたが、いじめには発展せずに友達が増えていきました。

小学校低学年の頃から、共稼ぎの寂しさを紛らわすために自分でいろいろ空想しながら外をウロウロするのが好きでした。この夙川の地域は、そうした空想遊びをするのにも最高の場所でした。学校が終わると一人で自転車に乗り、夙川の川沿いを散策したり、西宮浜で海をボォーと見つめたりしました。 初めて釣り道具を買ってもらって、リールで釣りをして遊び、 日曜日には六甲山に友達と山登りに行き、キャンプして飯盒炊飯で昼食を作りました。東京では絶対にできない体験をしました。

転校して友達と別れた寂しさはありましたが、知らない土地に行き、その土地の言葉や文化、やり方に順応したこと、見たことも無い世界を沢山見て、体験して、見識を広めたことは、自分を成長させ、社会人になって大いに役立ったと思います。「かわいい子供には旅をさせろ」は名言、親には不安があるかもしれませんが、正しいと思います。

約束を守らなかった友人は反面教師

この時期には一つ、インパクトのある思い出があります。 6年生の時、中学受験を目指していた友達と仲良くなり、「日曜日に六甲山にキャンプに行き、飯盒炊飯で昼食を食べよう」と約束をしました。 当日、準備万端でリュックを担いで友達を迎えに行くと、母親が怖い顔で玄関に出て来て、「勉強があって行けないので帰ってちょうだい」ときつく言われました。「約束したのに、本人ではなく、親が出てきて一方的に断るなんて、こんなことがあるのか」と腹立たしく思いましたが、諦めて帰りました。

家に戻ると、父から「行かないのか」と聞かれ、事情を話しました。 父は、「どんなに良い中学に行っても、友達との約束を守れない子はろくなものにならないし、約束を破ることを強制している親もダメだ」と一緒になって怒ってくれました。 6年生にもなって、親に何も言えない友達も情けないなあと思いました。

その子は結局中学受験に失敗し、それでも母親がどうしても私立中学に行かせたくて、義務教育の中学にはろくに通わずに昼間から塾に行って、編入試験で2年から甲陽中学に行きました。風の噂で京都大学に進学したと聞きましたが、親のレールにしか乗れないことを考えると、人を引っ張る魅力ある人物にはなってないだろうなあと推測しています。これは、自分にとっては反面教師となった思い出です。

白金・夙川と一等地に住み、その土地の風景や香りを楽しみ、たくさんの思い出をつくって、小学校時代を終えました。次回は中学時代に入っていきたいと思います。

残暑も含めて今年の夏は本当に暑い!
高原に行って暑さから逃れて見つけた静かな湖。癒されました。