【コラム】社会人として役立った・幼少期・青年期の体験 第3回
広瀬 光哉(カクタル代表取締役社長・営業強化コンサルタント)
2023年7月4日

困ったら、自分で考えて行動する子だった

3回目は小学校中学年・高学年のことを書いていきたいと思います。

前回、小学校1年生で鍵っ子になったと書きましたが、日々の生活では給食の無い土曜日のお昼が困りました。今思えば、我が家は「お昼はこれを食べなさい」という用意は無かったんですね。家にあるものを工夫して食べるしかありませんでした。

ある時、どうしてもラーメンが食べたくなりました。野菜も入れたいけれど自分では作れず、即席ラーメンをパッケージごと小さい鍋に入れて、近所の家に「作ってほしい」と頼みに行ったことがあります。もちろん優しく受け入れてくれ、野菜も入れて作ってくれました。美味しかったなあ。

その後は、作り方を覚えて自分で作りました。自ら考えて行動し、その結果を見て、それ以降の自分の行動を変えたのだと思います。

悪事がバレて深く反省、親の愛を感じる

家に居ても誰もいなく寂しいので、いつも外で遊んでいましたが、遊ぶ友達は限られていました。ある日、いつも遊んでいる友達が「家のたんすにお金がある」と教えてくれました。「そのお金でお菓子を買おう」という話になり、何度かお菓子を買って食べました。その他にも、二人でちょっとした悪さをしました。

しかし、子供がやることなどいずれバレます。友達の親が気づいて怒られました。それで、私も自分がやったことを親に全て白状しました。親に正直に話すうちに自分がやったことの重大さがわかり、ものすごく反省しました。「なんて悪いことをしてしまったのだろう」と、眠れない日々が続いたことをよく覚えています。親には「もう二度としない」と誓い、やったことを恥じました。

ただ、悪事を白状した時に、ひどく叱責された記憶がないのが不思議です。両親は友達の親からも叱責されたでしょうし、私の話を聞いてショックだったと思います。しかし、親父からは一回だけ、「反省して後悔している気持ちを忘れるな」と言われただけでした。普段は厳しい母からは何も言われませんでした。私が反省して落ち込んでいる姿を見て、「もうやらない」と言うわが子の言葉を信じたのだと思います。

自分を信じてくれた両親に感謝

その後に、両親から信頼されていると感じた事件がありました。私が住んでいた社宅には屋上があり、それぞれの家の分のテレビアンテナが立っていました。ある日、「私がある家のアンテナを折って振り回して遊んでいた」と、その家から両親にクレームがあったのです。

私はもう4年生になっていましたし、あの反省と後悔の日々の後であり、やって良いことと悪いことはしっかりわかっていました。よその家のアンテナを折るなんて全くやっていないことでした。親父から「見た人がいるのだけど、お前がやったのか」と聞かれてびっくりしました。「全く知らないし、絶対にやってない」と言うと、「わかった。やってないなら信じるから忘れろ」と言われました。

その後に、アンテナを折られたと言う母親とどう話をつけたかはわかりません。その母親は、当時小学校の教師でした。今思うと、無実の子供を調べもしないで一方的に疑うひどい教師だったと思います。

人を信じて失敗したことはない

この事件は、人を信じることの大切さを子供心に学んだ事件でした。自分を疑わずに信じてくれた両親を嬉しく思いました。

今年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、日本代表がアメリカを下して世界一を奪還しました。その時に、栗山英樹監督の「選手を信じる」という言葉が話題なりました。私も試合を見ていて、人を信じることはとても大切なことだと痛感し、子供の頃のこの事件を思い出しました。

社会人になってからの私のマネージメントは性悪説ではなく性善説で成り立っています。それは、子供の頃に親から信じてもらった体験があるからだと思います。

いろいろと悪く言われる上司や部下もいましたが、私はビジネスでも人生でも性善説を信じて失敗したことはありません。信じると決めたら心中する気持ちで接するべきだと思っています。

次回は、親の転勤から学んだ体験について書きたいと思います。

あるところで「つもりちがい十か条」を見ました。全て当てはまっていて、まだまだ小さいと自覚。