【コラム】社会人として役立った・幼少期・青年期の体験 第7回
広瀬光哉(カクタル代表取締役社長・営業強化コンサルタント)
2024年7月1日
辛い夏合宿で、チームワークを学ぶ
前回は、中学を卒業して念願のパワハラや暴力の無い高校に進学したこと、特にバスケット部監督の佐藤先生にご指導いただいたことに感謝していると書きました。今回は部活での思い出と、そこで得た宝(社会人になって役立ったこと)について書いていきます。
まず、辛い夏合宿の思い出から書きたいと思います。入部した時から先輩に「今は体力的に練習が厳しいだろうけれど、夏合宿が終わったら体が変わるぞ」と何度も言われたので、「どれだけ厳しい合宿なのだろう」と戦々恐々でした。
そんな夏合宿が1年生の8月に始まりました。県立高校だったので合宿所などなく、学校の教室に畳を敷き、食事は生徒の自炊で、お風呂は夜の銭湯のみでした。
朝6時起床で、いきなりマラソン。朝食後は午前中いっぱい練習、昼食を食べ、1時から2時は強制的に昼寝。その後は夕食まで練習、夕食後はまた練習して、銭湯に行って就寝です。
技術アップと体力づくりの高密度の一日です。これを2週間ぐらい缶詰で行いました。「途中で水は飲まず、長時間の練習」と、今では厳禁な運動メニューだったと思いますが、本当に心身共に鍛えられました。食事が喉に通らないほどの疲労困憊でしたが、それでも無理やり飲み込んでいました。3~5キロぐらい痩せたと思います。
この集団生活で、全員で辛さを乗り越えていくチームワークが養われました。まさしく「同じ釜の飯を食った仲」というのを経験したのだと思います。
確かに、この合宿後はコートを走り回っても疲れない体になりました。中学時代とは全く次元の違う部活生活を1年間続け、2年生になりました。
自分の愚かさを知り、涙を流して反省
2年生になって、何とかレギュラーになりました。チームの中ではポイントゲッターという位置付けでした。バスケットのレギュラーは5人です。一度に5人しか試合に出られません(交代はあります)。
ある時、楽勝の試合があり、自分は点数を上げ続けていました。とても楽しい時間です。その時、監督から交代の指示が出ました。自分としては「こんな調子良いのになぜ?」と思ったのでしょう、「代えないでほしい」と言った記憶があります。しかし、その希望は受け入れられず、交代させられました。
ベンチに下がって、交代で出たチームメイトたちを見ていましたが、試合慣れしてないのでミスを連発し、バタバタ状態でした。交代が不満で、最初は冷ややかな気持ちで見ていたのですが、必死に動いている姿を目で追っているうちに、自分の愚かさを思い知りました。「厳しい練習に黙々と耐え、でも試合にはほとんど出られずにベンチを温めているチームメイトの悔しさを理解したことがあっただろうか?」と思い至り、自信過剰で我儘などうしようもない自分が恥ずかしくて、自然に涙が出てきました。
ベンチに座り、仲間への思いやりの気持ちに欠けていたことを反省し、涙を浮かべて応援していた時の気持ちと、体育館の空気と声援は、今でも鮮明に覚えています。これは、自分にとっては大事な高校生活の思い出です。 この時に「人の痛みを知ることの大切さ」と「日の目を見なくても地道に努力する大切さ」をしっかりと心に刻みました。
キャプテンに指名され、リーダーシップを発揮
2年生の夏合宿が終わると3年生が抜けて、いよいよ自分たちの中からキャプテンが誕生します。こんな至らない自分でしたが、佐藤先生は私をキャプテンに指名しました。キャプテンになって、もっと人格を磨きなさいという思いだったのかもしれません。
中学時代もバスケット部のキャプテンでしたが、高校のキャプテンは重要度が違います。後輩の面倒を見ることも必要だし、皆を元気に引っ張るリーダーシップも必要となります。何とか最後までこなし、自分なりにリーダーシップを発揮できたことは、社会人になってから役立ったと思います。しかし、歴代のキャプテンと比べると甘さが沢山あり、存在感も半分以下だったと自覚しています。
監督の信頼を裏切った痛恨の体験
自分の甘さについては、一つ失敗談があります。毎日の練習にマラソンがあり、本来なら自分が先頭を走って皆を引っ張らなくてはならないのですが、距離を偽って皆でさぼってしまいました。なぜか、薄々気付いていた監督が先回りして待っていて、現場を取り押さえられてしまいました。
高校に戻り、教員室に謝りに行くと、監督は目を赤くして泣いていました。これは本当に応えました。「取り返しのつかないことをやってしまった」という後悔と、「もう練習を見てもらえないかもしれない」という不安に押しつぶされそうになりました。監督との関係が元に戻るのにもずいぶん時間がかかったことを覚えています。
これは、信頼を裏切ることの怖さを知った痛恨の体験でした。この時に「もう絶対に自分を信頼してくれる人を裏切らないぞ」と肝に銘じました。その後はずっとこの決意を守り、同じ後悔をしたことはありません。
佐藤先生の部活指導の情熱に感謝
68歳になった今も、あの時の後悔の気持ちは消えません。なぜかと考えてみると、社会人になって改めて、佐藤先生の部活指導の情熱に気付いたからです。当時は毎日夜まで練習、土日は練習と試合で、休みはお盆の4日間と正月の5日間だけでした。高校生だった自分たちはもっと休みたいと思っていましたが、佐藤先生とご家族はどうだったのでしょうか。
自分のことを考えると、土日まで仕事で潰すことは考えられません。だからこそ、佐藤先生の情熱の強さ、部員への愛情の深さを感じ、そんな先生を裏切ってしまったことが未だに後悔として残っています。佐藤先生には本当に感謝しています。
次回は練習後の思い出について書きたいと思います。次回で、「社会人として役立った幼少期・青年期の体験」の最終回にしたいと思います。